ぜんふ勝手だったから。

どこかの黄推しの、いつか、みつけてもらえればいい、終わらない手紙

北極星

あの日から3ヶ月になろうとしている。

私が腹を括って駆け回ったのも9月の終わりくらいだから、横アリをはさんでちょうど同じくらいの期間がすぎた。

とか言ってる間に4ヶ月になった。

....5ヶ月です。もう150日です。

もういなくなってしまってからの時間しか増えないんです。当たり前なんだけど。

あんなに冬が来るのが嫌だったのに、気がついたら冬も終わっていて春になっていてそしたら今度は冬が終わってしまってるのを認めたくない。あの寒さは愛おしさの記憶にもなってしまったから。

 

推しを思っている日々ってことでは同じ3ヶ月なのに、全然違う3ヶ月だった。

 

全然素直になれなくて、でもなんかとにかく会いに行かなくちゃってなって、なんだか無我夢中に駆け回って過去を見つめて、「好き」に気づくための3ヶ月だった。最後の最後で好きどころか「大好き」になってしまった。

それに囚われてしまって、でもきっとそれはマイナスの意味になるのであれば、あちらも望んでないはずなのに、感情の起伏が凄すぎてすごく苦しい日々になりました。まわりがどんどんすすんでいくのに、自分だけ留まりたくてしがみつきたくて、遠ざかっていくことでこの日々を忘れてしまうと忘れてしまいそうで怖くて。寂しくならなくなるのが怖いです。

きっと本人はやりきっただけやり切って元気に前を向いて過ごしてるんだろうなって思うと、それが嬉しいし、悔しいし、寂しいし、腹が立つし、でもきっとそういう人だから推したし。それも受け入れて私も前向きになろうって思ってもやっぱりやっぱりそれなりに全力で引き摺ってます。罪な人です、推しです。

 

でも、ふと思うのは「大好き」「推してよかった」って最大値で思える時に卒業してくれてよかったってことです。だからこんな気持ちを知れた。

それでも、ずっとずっと考えてる。考えてしまう。

あの時、私もいってみようになってたら。

あの時、私の為にCDを買ってたら。

あの時、誘いにのってたら。

あの時、行ってたら。

あの時、会いに行っていたら。

 

でも「あの時」だったから、「今」があって。

 

どうしたってなにを考えたって結局は、あの2023年12月8日にしか行きつかなくて、そこまでにもらったいっぱいの奇跡は何かひとつでもずれてたらきっとなくて、その一つも逃したくないから変わってほしくないから、でもやっぱりもう少しこうできてればとか、いましんどくて苦しくてどうすればいいかわからないぐちゃぐちゃの気持ちになりながらも、やっぱりあの日々が幸せであって、出会えてよかったって、出会わずに終わらず良かったって思って、その分この寂しい気持ちを胸にずっと抱えたまま生きていくことも決まってしまって、でもその事すら日常に溶け込んできて不思議な気持ち。

 

 

失敗も後悔も連続してたけど、でも、隣にいた時に思いっきり笑うことが出来たから。あなたじゃないと知らない幸せがあったから。思った通りにならなかったこともある過去も、今も大切にしたいです。